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「食は新潟にあり」 ♯1.食文化を知る上での視点/本間伸夫さんインタビュー

新潟県の発酵食を考える上で、土台となるのは何といっても新潟の食文化です。食文化を知るバイブルともいえる1985(昭和60)年に発行された『聞き書 新潟の食事』(農山漁村文化協会)の編集委員代表を務め、自身でも『食は新潟にあり』(新潟日報事業社)などの著書で新潟の食文化を紹介し続けてきた本間伸夫さんにお話を伺いました。



本間伸夫(ほんま・のぶお)

農学博士。専門分野は食文化論。1931年に佐渡市(旧畑野町)で生まれ、幼少時は長岡市、新潟市で育ち現在は新潟市在住。新潟大学卒業後、新潟県食品研究所で発酵食を研究、県立新潟女子短期大学(現新潟県立大学)開設を機に教職に就く。食文化論の中でも地域性に注目し、フィールドワークを重ね、全国的な比較、特に日本の東西に注目した場合の新潟県の食文化的位置などを中心にして、新潟県独自の食文化の価値を検証してきた。その間、新潟大学、新潟薬科大学、新潟産業大学、北陸学園、北里学園などで非常勤講師および放送大学の講師を務めた。新潟県生活文化研究会の創立に関わり、初代会長を務める。著書は『食は新潟にあり』(新潟日報事業社)、『日本の食生活全集・聞き書 新潟の食事』(農山漁村文化協会)など。JR東日本の車内誌『トランヴェール』にも多数執筆。



——ひと言に「食文化」といっても漠然としていて、その範囲はかなり広いですね。新潟県の食文化を理解する上で、どのような視点が考えられますか。


まず挙げられるのが「風土」です。気候と大地の条件ですね。寒暖、降雨、降雪量、風などの気候条件と、山か平野か、河川の有無とそのスケール、島か否か、海に面しているかなどの地勢、それに大地の水資源と肥沃度などが加わります。次に挙げられるのが、その地域で得られる食資源の質と量であって、これが最大の要因です。ところが、この食資源の生産は、ほぼ風土によって支配されていますので、結局のところ、地域の食文化は風土に支配されていることになります。

農山漁村か都会かという生業(なりわい)の環境も重要です。新潟県には新潟市のような港町や、村上市や長岡市、上越市などに城下町としての歴史を有していますが、県全体としては農業県であるという伝統が維持されています。


——どのようなものを「郷土料理」というのでしょうか。


基本的にはその風土で得られる食材を使って作られ、長期にわたりその地域の人々に支持され、伝承されてきた料理のうち、特徴的であるものです。新潟を代表するものとしては、「のっぺ」や村上の鮭料理、上越地方の「笹ずし」、中越地方の「煮菜(にな)」などがあります。



——他地域との交流という視点は。


非常に大事な視点です。新潟県の場合は、いろいろ変化に富んでおりまして、少し間が抜けたくらい大きな県ですから(笑)、あちこちに交流がある。それともう一つ大きいのは佐渡の存在です。佐渡は北前航路により、北海道や西日本の上方との結び付きがありました。そして新潟港も北前航路の要所として関係があったわけです。多くの米を積み出していましたから。



——陸路による交流についてはどうですか。


街道による他地域との交流も多く、一番密接なのは出羽街道でつながる山形県の庄内。それから会津街道による福島県会津、北國街道では越中(富山県)にも通じていました。善光寺参りが盛んだった信州(長野県)との交流もあり、「塩の道」とも呼ばれるように、塩や魚、米などが街道により運ばれていきました。運ばれた物資として一番大きかったのは、佐渡からの金銀だったかもしれません。



——味覚や嗜好は、食文化の視点として考えられますか?


組織的に調べた人はいないのではないかと思いますが、私自身も明確に捉えていませんが、食品の摂取量の値から、例えば、東日本では塩分嗜好がやや高いとか、西日本では甘味と酸味嗜好が強いのではないかと言われています。

分かりやすい例としては、鮮魚の保存法として塩蔵と乾燥があります。東日本では塩鮭のような塩物が、西日本ではアジの開きのような干物の消費が多くなっています。新潟県は塩物の方です。



——食文化の観点から、新潟県をどのようにエリア分けできますか。


何といっても大きなポイントは越後と佐渡に分けられるということですね。佐渡は越後と全く違い、西日本の文化が保持されています。

越後のエリア分けは、編集チームをつくり4年かけてフィールドワークを行ってまとめた、『聞き書 新潟の食事』の頃と、大きく変わっていないと思います。

今でも新潟県の人たちの意識は、大体このように地域をとらえているのではないでしょうか。現在の新潟市、長岡市、上越市の行政区分は、食文化上のエリア分けである蒲原(かんばら)、古志(こし)と魚沼(うおぬま)、頸城(くびき)地方とほぼ一致しており、この3市は各エリアを代表する都市となっています。



——『聞き書 日本の食生活全集』は、全国47都道府県ごとに編纂された、日本の食文化を知る上でのバイブルともいえる本ですね。ここでは佐渡と越後、さらに越後を5つのエリアに分けています。


山形県と隣接する村上市を中心とした「岩船(いわふね)」、信濃川と阿賀野川がつくり出した広大な水田と潟に恵まれた新潟市を中心とした「蒲原」、雪深い山間地は長岡市や柏崎市を中心とした「古志」と、六十里越えによる会津との交流がありましたが、主に三国街道で関東とつながる魚沼市や南魚沼市、湯沢町を中心とした「魚沼」に分けられ、さらに日本海道と太平洋側へつながる横断道が出合う、上越市を中心とした「頸城」の5エリアに分けられます。




——それぞれのエリアの食文化の特徴は。


「岩船」は海、山、平野、川がバランスよく配置された地域ですが、なかでも三面川の鮭を使った食文化は特徴的です。さらに山形県との食文化上の関係も興味深いですね。

「蒲原」は食文化の視点ではさらに2つに分けられます。一つは会津に隣接し、影響を受けている「山の蒲原」。阿賀町と下田(しただ)(三条市)が該当します。もう一つは現在の新潟市を中心とした「里の蒲原」で、山の蒲原に属するもの以外の旧蒲原郡が含まれます。稲作日本一を支える沖積平野があり、海岸砂丘では質の高い野菜や果物が栽培されています。

長岡市、柏崎市、刈羽村が属する「古志」は、食文化的には蒲原と頸城の間に位置する遷移地帯で、雪が生み出す清浄な空気と清冽な雪解け水により、摂田屋(せったや)に代表される

醸造業が盛んな地でもあり、酒蔵も多いですね。

「魚沼」もさらに2つに分けられます。一つは関東に接する、魚沼市や南魚沼市、湯沢町の「街道の魚沼」。三国街道や、現在では新幹線や高速道路で関東とつながっていますが、食文化的な関係は薄いようです。風土があまりにも違いすぎるからかもしれません。雪解け水や朝晩の寒暖の差により、全国的に知られる良質米、魚沼コシヒカリが生まれました。もう一つは信濃川流域の津南町、十日町市、小千谷市、長岡市などを含む「妻有(つまり)の魚沼」です。信濃川がつくった河岸段丘上では稲作はもちろん、高原野菜の栽培も盛んです。「へぎそば」で有名ですね。



「頸城」は「くびき野」と「西の頸城」に分けられます。上越市と妙高市の「くびき野」は、米山(よねやま)や妙高山(みょうこうさん)に抱かれ、関川(せきかわ)などの河川沿いと、高田平野や海岸砂丘、さらには信州につながる北國街道があります。農産物としてはコシヒカリに代表される米があり、「けんさん焼き」や「笹ずし」などの米を使った郷土料理も多いですね。「西の頸城」は富山県に接する地で、フォッサマグナ上にあります。食文化的にも西の影響が強く、正月魚がブリ、昆布巻きの芯が鮭でなく、笹団子や納豆を食べないなど、越後のほかのエリアとは異なる特徴が挙げられます。





——佐渡の食文化の特徴は?


大きく2つのポイントがあります。一つはかなり大きい島国であること。国中平野などで豊富に生産される米や野菜と、日本海から得られる魚介類などに恵まれ、食料自給はもちろん、文化を育む立場から有利である。また、対馬暖流の影響で降雪が少なく温暖であり、特産の柿をはじめとして、小佐渡の南面では「温州みかん」までが経済的に栽培されているように、多彩な果物が生産されています。

もう一つは北前航路という海上交通の要の位置にあることです。そのため、西の方、上方の文化の影響を強く受け、それが定着していることです。雑煮の餅が丸餅であったこと、団子を包むのにサルトリイバラの葉を使うこと、正月魚がブリであることなど、多々あります。さらに興味深いのは、清酒、みそ、しょうゆ、フグの子の粕漬けなどに、発酵技術が色濃く伝承されていることです。島国という特異性、恐らく輸送上の問題から、自給自足が促されたためではないかと考えられます。





〔聞き手・文〕

高橋真理子:群馬県出身。大学卒業後、絵本、生活情報誌『レタスクラブ』編集部を経て、結婚を機に新潟へ移住。フリーの編集・ライターとして『るるぶ』『新潟発』に関わり、新潟の食と酒の魅力を伝える出版社・株式会社ニールを設立。『cushu手帖』、『新潟発R』を発行。著書は『ケンカ酒 新潟の酒造り 小さな蔵の挑戦』。現在も四季折々の新潟の美味に感激し、堪能する日々を送る。


〔イラスト〕

すがい敦子:『新潟発R』2018秋冬・8号「旅するFOOD」より


〔お問い合わせ〕

今回の取材は、新潟県雪国の発酵食文化発信事業の一環で取り組みました。

新潟県農林水産部食品・流通課 025-280-5963

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