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「食は新潟にあり」 ♯2.本県の食文化の特徴と、他県との比較/本間伸夫さんインタビュー

新潟県の発酵食を考える上で、土台となるのは何といっても新潟の食文化です。食文化を知るバイブルともいえる1985(昭和60)年に発行された『聞き書 新潟の食事』(農山漁村文化協会)の編集委員代表を務め、自身でも『食は新潟にあり』(新潟日報事業社)などの著書で新潟の食文化を紹介し続けてきた本間伸夫さんにお話を伺いました。



——本県の食文化における佐渡の存在は。


前述したように、佐渡は自然環境的に越後と異なった特性を持つと同時に、歴史・文化的側面でも特異性があります。日本海上交通、特に北前航路上の要地があり、歴史的には政治・思想犯の流刑地であり、佐渡金山があったことで天領の地でもあったことから、多くの文化に接する機会がありました。団子を笹ではなくカヤの葉で巻く、昆布巻きの芯にニシンを使う、そばのだしにトビウオ(アゴ)の焼き干しを使うなど、西の食文化が色濃く残っています。



——本県の食文化に影響を与えた風土は何でしょうか?


新潟の食文化、特に越後の食文化に影響を与えているのは、何といっても雪です。邪魔になるかもしれませんが、雪があるとないとでは大違い、ということがいくつかあります。

話を米の生産に絞りますと、魚沼地方の山里でこれだけ立派に米がとれるのは、ご存じの通り、雪が降り積もり、春にそれが解けて水田を潤してくれるからです。雪がダムになっています。降雪が少ない場合はどうなるでしょうか。

茨城県を例にしますと、新潟県と反対の太平洋側にあって、越後の地形とよく似ています。両者ともに、弓なりで出入りの少ない海岸線を持っており、内陸に向かって、霞ケ浦を囲む平坦で湿り気が多い地域、次は畑地の多い平地、それから山地となりますが、海抜が上がるにつれて陸稲(おかぼ)の栽培が増えてきます。水利技術が進んだ現在ではかなり改善されていますが、山地での水稲栽培は新潟県よりも不利といえます。



——雪によって生まれた食文化は?


清酒以外のことについて話を絞りましょう。

近年、雪室や雪下など、雪の利活用が注目されていますが、昔は大根など、前の年にとれた野菜は例外なしに雪の中に入れて保存していました。秋とれる野菜はほとんどそれができる。保存の知恵ですね。魚沼地域では、昔は屋外に杭を打ち込んでわらや縄で作る「だいこだて」に大根を貯蔵していました。

雪に閉ざされたから発達した文化の典型が雪室ですね。動けないから自分の家に貯蔵する保存食の知恵は、新潟県の優れた、大切な食文化です。

さらに「干す」という保存方法も忘れてはいけません。野菜を干すというのは、湿度が低く、乾燥しやすく腐りにくい、寒い時季が最適です。新潟の冬の気候はうってつけでした。干したものを戻して漬け物や煮物にする。中越地域で作られている郷土料理の「煮菜」は、青菜を塩漬けして、塩抜きしたものを調理します。この料理は雪が生んだ代表的なものといえますね。

野菜の「雪晒(さら)し」的乾燥法があり、大根を好天のときに雪の上で乾燥すると、白くておいしい干し大根ができます。現在は唐辛子に応用され、「かんずり」があります。



——ほかにも雪が生んだ食文化の具体例はありますか。


現在の魚沼地域を代表する特徴的な料理が「へぎそば」です。

冬、雪が降って仕事ができないので糸つむぎを生業(なりわい)とし、そこから繊維業が発展しました。そのときに使っていた海藻の布海苔(ふのり)を蕎麦(そば)のつなぎに使ったのが「へぎそば」です。

また、冬季に杜氏が蔵人を束ね、集団で県外へ出稼ぎに行ったことが、現在の清酒産業の発展に結びつきました。これも冬の降雪に由来しますね。





——雪のほかに、地理的な条件が食文化に与える影響は?


新潟県の位置は本州のちょうど真ん中。ですから寒さに強いものと暑さに強いもの、寒暖両方の作物が育つ可能性があり得ます。すなわち多様性の可能性があるということです。地勢的には、山梨や長野と違い海もある。山あり平地あり海あり、島まである。多様性のある土地なのです。



——食に恵まれた土地ということですね。


そういえます。ところが新潟県は今まで、米に頼りすぎてきました。行政的にも。ある意味、それは仕方のないことでした。歴史的宿命です。

かつて、米は貨幣の代わりをするくらいの地位にあったわけですから、米さえとれれば絶対に有利でした。明治の初めころに新潟県の人口が日本一だったということにも象徴されます。米作りに恵まれた地であったことが、今となればあだになっている側面もあります。ほかのことに目を向けなかったということです。

園芸作物が発達しなかったことや、水産業にお金をかける必要がなかった。米を作っていれば、お金が入ってきたわけですから。

多様性のある土地なのです。



——米が主体だったからこそ生まれた食文化とは。


生産量が低く作りにくいもち米を、余裕の現れとして栽培し、もち米を使う郷土料理も伝承されています。代表的なものとしては長岡地域を中心に、蒲原でも作られている「三角粽(ちまき)」があげられます。

話は少しそれますが、枝豆も余裕の現れといえます。面白い話があります。富山県に行って調べたことがあるのですが、新潟では大豆を未熟な状態の枝豆で食べると言うと、地元の人から「そんなもったいないことはしない。全てみそにしてしまう」との言葉が返ってきました。米の栽培が多いから畔(あぜ)も多く、そこで大豆を栽培する。畔が多ければ大豆もたくさん栽培できますから、余裕があり枝豆として楽しむ文化が根付いた、といえるかもしれません。

大地主の米の活用法として、付加価値を付けて販売するということで、清酒やみその醸造所が多く誕生したという歴史もあります。かつては廻船問屋だったという酒蔵もありますね。



——多くの一般庶民は米をどのように活用し、味わっていたのでしょうか。


多くの一般庶民は、日常では米に大根などを加えてかさを増す「かてめし」を食べていました。

福島潟の漁業を営む集落を取材したときに、かてめしに米を入れるという話を聞き驚きました。かてめしには地域性が出ます。東日本はじゃがいも、西日本はさつまいも、新潟県は両方、さらに新潟では大根やサトイモも使いますが、くず米も入れるというのは、本県以外では聞いたことがありませんね。


♯3.「本県の食文化における発酵食品の存在」とつづきます



〔プロフィール〕

本間伸夫(ほんま・のぶお)

農学博士。専門分野は食文化論。1931年に佐渡市(旧畑野町)で生まれ、幼少時から長岡市で育つ。現在は新潟市在住。新潟大学卒業後、新潟県食品研究所で発酵食を研究、県立女子短期大学(現新潟県立大学)開設を機に教職に就く。食文化論の中でも地域性に注目し、フィールドワークを重ね、他県と比較することで新潟県独自の食文化の価値を検証してきた。その間、新潟県生活文化研究会の創立に関わり、初代会長を務める。著書は『食は新潟にあり』(新潟日報事業社)、『日本の食生活全集・聞き書 新潟の食事』(農山漁村文化協会)など。JR東日本の車内誌『トランヴェール』にも多数執筆。


〔聞き手・文〕

高橋真理子:群馬県出身。大学卒業後、絵本、生活情報誌『レタスクラブ』編集部を経て、結婚を機に新潟へ移住。フリーの編集・ライターとして『るるぶ』『新潟発』に関わり、新潟の食と酒の魅力を伝える出版社・株式会社ニールを設立。『cushu手帖』、『新潟発R』を発行。著書は『ケンカ酒 新潟の酒造り 小さな蔵の挑戦』。現在も四季折々の新潟の美味に感激し、堪能する日々を送る。


〔イラスト〕

すがい敦子:『新潟発R』2018秋冬・8号「旅するFOOD」より


〔お問い合わせ〕

今回の取材は、新潟県雪国の発酵食文化発信事業の一環で取り組みました。

新潟県農林水産部食品・流通課 025-280-5963