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「越後のみその生業について」 ♯3.みそ業界の大きな波と、そこから得たもの/今井誠一さんインタビュー


——昭和40年ころの味噌醸造近代化基本計画の影響は?


国の施策により無利子で貸し付けを受けることができたことで、昭和40年の初頭から県内メーカーが改築や新工場の新築、旧来の工場内のいろいろな設備を改新しました。この基本計画が近代化に果たした役割は大きいと思います。

導入された機械の中で代表的なものが通風製麹(せいきく)装置と加圧蒸煮缶です。今までは蓋(ふた)、あるいはへぎに一升ずつ米を盛って、手作業で麹を育ててきましたが、この方法は10年くらい経験を積まないと作れませんし、何といっても労力がいります。それを解消するために、通風により製麹中の温度を調節できる機械が導入され、一挙にみそ事業の近代化が進みました。現在約100トンもの規模で麹を作っている長野県のトップメーカーは、これがきっかけで誕生したのです。

さらに、従来は無圧で、2時間半から4時間かけて大豆を煮たり蒸したりしていたのですが、加圧蒸煮缶により、20分から30分あれば蒸す、または煮ることができるようになりました。



——県の研究員としてどのように関わりましたか?


製麹機では、麹の品温経過が大事なのですが、何がベストなのかわかっていませんでした。実験室的な規模で適正な品温経過を確定し、メーカーに伝えましたが、現場ではそれぞれ条件が違いうまくいきませんでした。そこで私たちが現場に入り、データを取り、それに基づいて、その場その場で現場指導をやってきました。

蒸煮缶については、大豆の加工上の品質は産地や品種により千差万別。それぞれの大豆に最も適した蒸す条件、煮る条件を、現場に入って、メーカーの人たちと一緒にデータを取りながら定めてきました。大変な作業でしたが、このことで確実に現場指導能力が向上しました。私は30歳代前半でしたが、どこの現場へ行っても怖くなくなりましたね。さらに、メーカーの人との人的交流を深めることもできました。



——平成5年の国産米大不況によるタイ米使用で苦労されたことは?


ちょうど私が研究所の所長をやっているときで、米菓と餅が一番大変でした。政府が輸入したのはタイ産米というインディカ型の長粒種で、これはでんぷんがなかなかアルファ化(糊化:こか)しない。通常の水浸けでは吸水が不十分なので、昭和25~26年に開発された二度蒸しのデータを活用しました。

一晩水に浸け、短時間蒸して、その後一定時間放置した後に再度水浸けすると、10%ほど多く吸水します。そして二度目の本格蒸しででんぷんがアルファ化して蒸し上がります。この技術は文献上でしか知りませんでしたが、実験工場で試して得心してから現場で指導をしました。でんぷんがアルファ化すれば、普通の麹はできます。ただやはり味は淡泊。麹の質もよくありませんでした。しかしみその場合は米菓と違い、もう一つの大豆という原料があるので、大豆の選択や蒸煮処理により、タイ米による麹の物足りなさや欠点を補いました。



♯4「技術を向上させたテキストと技術会、鑑評会」へとつづきます


(プロフィール)

今井誠一(いまい・せいいち)

農学博士。1937年に燕市吉田(旧西蒲原郡吉田町)で生まれる。新潟大学農学部卒業後、新潟県食品研究所に入所。みそやしょうゆなどの大豆発酵食品の研究及び技術指導に従事。93年には、科学技術庁長官賞を受賞。90年から95年まで所長を務め、同年退職。全国味噌鑑評会審査員を31回務める。新潟県味噌工業協同組合連合会顧問、全国味噌技術会常任理事を歴任。著書は『食品加工シリーズ 味噌-色・味にブレを出さない技術と販売』(農山漁村文化協会)、『みその絵本』(同)。

〔聞き手・文〕

高橋真理子:群馬県出身。大学卒業後、絵本、生活情報誌『レタスクラブ』編集部を経て、結婚を機に新潟へ移住。フリーの編集・ライターとして『るるぶ』『新潟発』に関わり、新潟の食と酒の魅力を伝える出版社・株式会社ニールを設立。『cushu手帖』、『新潟発R』を発行。著書は『ケンカ酒 新潟の酒造り 小さな蔵の挑戦』。現在も四季折々の新潟の美味に感激し、堪能する日々を送る。

〔お問い合わせ〕

今回の取材は、新潟県雪国の発酵食文化発信事業の一環で取り組みました。

新潟県農林水産部食品・流通課 025-280-5963