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「越後のみその生業について」 ♯2.組合の発端とこれまでの活動/今井誠一さんインタビュー



——「佐渡みそ」の組合組織は?


昭和21年に設立された「佐渡味噌工業協同組合」が平成14年に解散後、佐渡には組合組織はありません。

組合組織の歴史としては、明治42年に30数社が加盟する「佐渡味噌工業協同組合」が設立され、その後昭和10年に「佐渡味噌工業組合」、昭和19年に「佐渡味噌工業施設組合」、昭和21年に「佐渡味噌工業協同組合」と変遷していきました。



——「越後みそ」の組合組織は?


「越後味噌工業協同組合」「中越醤油味噌醸造協同組合」「上越味噌醤油工業協同組合」「佐渡味噌工業協同組合」が昭和37年に連合組織として「新潟県味噌工業協同組合連合会」を設立。その後、平成29年にそれまでの県内味噌・醤油組合を解散し、新たに「新潟県味噌醤油工業協同組合」が設立され、現在に至っています。



——「新潟県味噌技術会」とは?

昭和34年に設立され、平成29年に解散するまでの58年間、本県のみそ繁栄を技術面から支えてきた会です。

会員はみそメーカーの技術者や技能者、新潟県食品研究所職員、県内農業高校教員のほか、賛助会員として秋田や大阪などの大手種麹メーカーや調味料メーカー、包材業者など、約90名の会員で組織していました。地方の会としては大所帯でしたね。

「会員相互の親睦をはかり、知識の交換、技術の交流、研究の検討などにより本県のみその繁栄を期する」ことが目的の会でした。

昭和50年代になって叫ばれ始めた、産官学の連携や異業種間交流の先駆けをなした会ではないかと思っています。



——具体的にどのような活動をしていたのですか。


何といっても大きかったのが技術講習会と会誌の発行です。会誌は一年も休むことなく69号まで、毎年発行し続けました。歴代の食品研究所の担当者の努力のたまものです。財産ですね。

ほかに、共同試験の企画立案を行っていました。例えばアメリカから大豆が入ってきたときに、上手に蒸したり、煮たりするにはどのような条件が最適かということを、10社、15社が集まり、分担による試験方式で解決していきました。テーマは毎年さまざまでした。

さらに鑑評会を開催しました。持ち寄ったみそを互いに評価するとともに、場合によっては高名な先生を招へいし、そのよし悪しを判定する。設立後しばらくしてから始まり、40回くらい開催したでしょうか。

鑑評会が品質の向上に果たした役割は大きかった。どういうみそがいいか悪いかは、自社のみそを見ているだけではわかりません。まさに「手前みそ」のような話で(笑)。他社のみそ、あるいは他県のみそを見ることにより、客観的に品質判定ができ、自社のみその長所欠点が把握できます。諸般の事情により技術会が解散してしまったことは大変残念です。




♯3「みそ業界の大きな波と、そこから得たもの」へとつづきます


(プロフィール)

今井誠一(いまい・せいいち)

農学博士。1937年に燕市吉田(旧西蒲原郡吉田町)で生まれる。新潟大学農学部卒業後、新潟県食品研究所に入所。みそやしょうゆなどの大豆発酵食品の研究及び技術指導に従事。93年には、科学技術庁長官賞を受賞。90年から95年まで所長を務め、同年退職。全国味噌鑑評会審査員を31回務める。新潟県味噌工業協同組合連合会顧問、全国味噌技術会常任理事を歴任。著書は『食品加工シリーズ 味噌-色・味にブレを出さない技術と販売』(農山漁村文化協会)、『みその絵本』(同)。

〔聞き手・文〕

高橋真理子:群馬県出身。大学卒業後、絵本、生活情報誌『レタスクラブ』編集部を経て、結婚を機に新潟へ移住。フリーの編集・ライターとして『るるぶ』『新潟発』に関わり、新潟の食と酒の魅力を伝える出版社・株式会社ニールを設立。『cushu手帖』、『新潟発R』を発行。著書は『ケンカ酒 新潟の酒造り 小さな蔵の挑戦』。現在も四季折々の新潟の美味に感激し、堪能する日々を送る。

〔お問い合わせ〕

今回の取材は、新潟県雪国の発酵食文化発信事業の一環で取り組みました。

新潟県農林水産部食品・流通課 025-280-5963